あなたの夢で眠りたい

咲き続ける重圧がキミを困らせないといいな

LGBTQ+当事者が『THE BOY FROM OZ』で感じたもの

はじめに


タイトルで「LGBTQ+当事者」などと仰々しく煽ってみたが、この記事も一個人の感想でしかなく、「性的マイノリティの人間が」というような主語を大きくした話ではない。
ただ、ヘテロセクシャル(異性愛者)の多くとは違った観点で『THE BOY FROM OZ』という作品を見ている部分がある気がするので、敢えてこのような表題にした。

自分のセクシュアリティだからこそ感じたもの。

それをこの記事に綴っていきたいと思う。



自分のセクシュアリティについて


大多数は興味のない話だと思うが、これを前提にしないと如何ともならないため先に記させてほしい。


わたしは出生時の性も、現在の性自認も女のシスジェンダーだ。
恋愛指向はバイロマンティック(男女共に恋愛感情が向く)、性的指向ホモセクシャル(同性のみに性的感情が向く)である。

つまり、平たくいえば恋愛対象は男女にある(性別は区別する)が、性的関心があるのは対女性だけというセクシュアリティ
もし知らない単語や細かい違いを知りたければ、ここでは触れないため個々人で調べていただきたい。

ただ、恋愛対象は男性にも女性にも向くと言ってはいるものの、その比率は人それぞれ。わたしの場合は女8:男2くらいの割合で、過去の恋愛経験はすべて女性である。
一般的に見ればレズビアンの位置に属するだろう。

まったく興味のないだろう前置きで恐れ入る。
さて、以下から本題に入りたい。


ピーター・アレンと二人の恋人


THE BOY FROM OZ』の主人公ピーター・アレンは、ジュディ・ガーランドの娘であるライザ・ミネリと結婚。しかし調和が合わずに離婚、その後出会ったグレッグ・コンネルと恋に落ち、彼を人生のパートナーに従えてその後の道を歩んでいく。

この文章だけ読むと、女性との結婚がうまくいかず男性と生涯を共にしたピーターは、ゲイあるいはバイだと思われるかもしれない。


しかしピーターがグレッグを愛したのは、彼が「男性」だったからではない、とわたしは感じている。

ピーターは、グレッグの自信家で勝ち気な性格や、はっきりものを言う姿勢、仕事に真面目な態度……そういった部分に魅力を感じたのだと思うし、人間の根幹的な部分でグレッグのことを愛していたのではないか。


雑誌「週刊朝日」1978年6月16日号内で、ピーターは自身のセクシュアリティについてこの様に語っている。

「私はゲイかって? オヤ マアー、だれもそんなことはきいたことないよ」

「私はひとつのタイプに押しこまれたくない。バイセクシュアルだって、ひとつの類型にすぎない。私は自分を定義したくないのさ」


ピーターは自分自身のことを定義したがらなかった。

非常に横暴だが、敢えてわかりやすく当てはめるとすれば、クエスチョニングに近い指向を持っていると言えるのかもしれない。


ライザが女性だったから愛せなかったわけでも、グレッグが男性だったから愛したわけでもないだろう。

ただ、ライザとの結婚生活が上手くいかなかったのは、ピーターから女性として愛されたいライザの気持ちと、ライザを女性として愛せないピーターの心のせいで双方が噛み合わなかったためだ。

恋人として、夫婦としてではなく、親友やbrother(きょうだい)としての関係を築いていれば、ふたりはもっと長く続いたのだと思う。

実際、終盤で病を患ったピーターにライザは寄り添っている。
愛するひとから自分の求める愛を得られないライザの姿はとても切なく、胸が苦しくなるが、それでも共にあろうとする強かで優しい心を持つ彼女はとても素敵な女性だと感じた。


ジュディ・ガーランドと父親


本作の中で、わたしが初めて観劇したときから毎回痛みを覚える台詞がある。


「なにが人間をダメにするかわかる? 生物学。心は女を求めていても、体は女じゃ満足できない。ハートは男、チンチンは女。こっちは水星こっちは火星」

「今まで散々オカマの星を行ったり来たりしてきたアタシですからね。子どもたちだけが唯一の証拠なの。それでもなにか正しいことをしたという証明」



これは1幕でジュディ・ガーランドがライザとの結婚を決めたピーターに向けて批判するように言った台詞だ。しかし、わたしはいつもまるで自分自身が責められているように感じる。


ジュディはバイセクシャルだ。

この時代、同性を愛する心を持つものは医学的に精神異常であるとされ、差別をされたり電気ショック療法で「矯正」されるなど、不当な扱いを受けていた。
それだけでなく、ジュディは当時のハリウッドが強制する女性的な身体規範などにも苦しめられ、何度も人生のどん底を経験したという。

そんな彼女が唯一「生物学的になにか正しいことをしたという証明」、=世間的にひとりの女性として認められる正しい行い、それが三人の娘の存在だった。


この地球上で文明を発展させている我々人間だって、生物学的に見ればただのヒト科の生命体に過ぎない。

この世の生命体はなにを目的に存在しているのか。
それはすべてのものに共通して言える。「自分の遺伝子を後世に遺すこと」ただそれだけだ。


人間が子をもうけるには、現在の倫理上では異性間で性行為をすることでしか成り立たない。
生殖的にそれが可能であっても、選択的にそれを実行しない(精神的に実行できない)わたしのような人間は、「生物としては出来損ないの不要な存在」なのである。

言葉が強いと感じるだろうか。だがこれは紛れもない事実だ。
同性愛者の人間の多くが一度は考えたことがあると思う。

愛するひととの子どもを持つことができない。

そしてその思いこそが、人間がただの生物であることの揺るぎない証拠だ。


けれどジュディはそれに成功した。

その大切な証拠を、自分と似たようなセクシュアリティのピーターに取られるというジュディが、「さあ、おまえはわたしと同じように生物として正しいことが出来るのか?」と投げかけているように感じる。



わたしは選択的に、生物としての存在意義を放棄した人間だ。

幸か不幸か、現代日本は社会を築いている。生物として認められなくても、人間として認められる余地はまだ残っているのだ。
だからすこしでも社会的に意義のある人間になろうと努めて今日まで生きているのだが、それでもときどきふと「出来損ない」の意識が頭を擡げることがある。

普通に男性と結婚して妊娠できたら、少しは楽に生きられるのだろうか。周囲の結婚や出産を心から祝えるようになるだろうか、と。


それからこれは生物的ではなく情緒的な話だが、自分がひどく親不孝だとも感じるのだ。

カミングアウトしてはいないが、おそらく母親はわたしのセクシュアリティに気づいているし理解もしてくれている。だが父親はそうではない。

父と同じく技術職に就いているわたしを父は認めてくれているし、結婚しろとも彼氏はいるのかとも一度も言われたことはない。
それでも、口には出さないだけで、大切に育ててきた一人娘の子どもを、孫の顔を見たいと思っていることはわかっている。

なにか自分の人生で劇的な出会いがない限り、わたしは娘としてその想いに応えてあげることはできないのだ。


カムしようとも思わない。

過去に一度だけ父が口にしたことがあるのだ。「同性愛は生物としておかしい」と。
これは当然わたしに向けたものではなかったが、当時は高校生くらいで、そのときには自分のセクシュアリティを自覚していた(しなんなら彼女もいた)から、当然のように深く傷ついた。

昨今のLGBTQ+に対する理解の動きについてどう思っているかはわからないし、訊く勇気もないが、ひとの根本的な考え方がそう簡単に変わることがないのは知っている。


どれだけ自分が諦念していようとも、そう簡単にこの問題を切り離すことはできない。
だからジュディの言葉が突き刺さって痛いのだ。


そういえば、ジュディ・ガーランドの父親もゲイだったそうだ。
ジュディ自身もまた、父親にとっての「正しい証明」だったわけである。

そう考えるとこの台詞は、ジュディが自分自身に向けた皮肉だったようにも思える。


ピーター・ウールノーの母親


前述の通り、この時代のゲイ(時代に沿ってこのように表現する)への風当たりはたいへんに強く、理解されることも難しかった。

しかしそんな時代でも、ピーターの母であるマリオン・ウールノーの台詞は息子への愛に溢れた、とてもあたたかいものばかりだ。


2幕序盤、ピーターがグレッグと出会い、恋に落ちたことを母マリオンに伝えるシーンはとても印象的だっだ。

愛する人ができたんだ!」と報告するピーターに、マリオンは「それは良かったわね。彼女の名前は?」と問いかける。そこでピーターは表情を曇らせ、少し躊躇いがちに「……グレッグ」と男性名を口にする。

それに対しマリオンは、戸惑いを表しつつも「それも……良かったわね!」と温かく祝福するのだ。


このときのピーターの嬉しそうな表情といったらない。
自分の愛する人の存在を、そして自分がグレッグという男性を愛していることを、母親が認めてくれたのだ。


きっとマリオンの中には母親としてのさまざまな葛藤があったはずだ。

それでも息子のセクシュアリティを理解し、容認する心はとてもしなやかで強かだ。観る人にあたたかい希望をもたらす。


もうひとつ、わたしが好きなマリオンの台詞がある。

マリオンがピーターに再婚することを伝えると、そばにいたグレッグが「マリオン、男できたんだ?」と驚きを表す。
それに対しマリオンは冗談めかしてこう言う。


「男を手にできるのはあんたたちだけじゃないのよ。そんなに驚くことないじゃない」


ピーターとグレッグの関係を心から認めているからこそ、この言葉が出てきたのだと思う。

(そしてこのときのグレッグの表情がとてもかわいい)(というかこのシーンのグレッグとピーターは終始楽しそうで二人ともとても愛らしい)

わたしのお気に入りのシーンのひとつだ。



さて、ここまで「この時代は理解が浅く」と何度も綴ってきたが、現代日本ではどうだろう。
当時の彼らよりも社会に受け入れられていると感じ人が多いだろうか。

たしかに、日本でもLGBTQ+の存在はひろく知られるようになってきたし、セクシュアリティによって差別してはならない、さまざまな性的指向を持つ人がいることを理解しよう、という動きが高まってきている。
(政治色が強くなるのは本意ではないので、現与党の主張については省く)

しかし、自分の子どものセクシュアリティが「特別」であることを受け入れるのが難しい親の心理は、今も昔も変わらないだろう。


わたしは自分のセクシュアリティが他の人と違っているとも特別だとも思っていないし、昔からこれが自分の「普通」だと思っている。
対外的に少数派であることを知っているから、世間一般に見れば「違う」という注意を持って生きているだけだ。

だからなにかゲイコミュニティのようなものを持っているわけでもないのだが、身近に同じセクシュアリティの人間はいる。


わたしの知人(女性)が以前に付き合っていた相手は、両親から同性と交際することに理解を得られなかったという。
その親は「男性と結婚しないなら親子の縁を切る」と言い、わたしの知人に対しても「うちの娘を狂わせた犯罪者」と罵ったのだそうだ。

たとえ社会レベルで理解と容認を促すようすすめていても、個人レベルにまで落とすとこのような実情はごまんとある。

わたしも、肉親からでないにしろ「同性愛者なんて精神障害でしょ」と面前で言い捨てられたことがあるほど、個人での捉え方としてはまだまだピーターたちが生きた時代と変わらない人たちが多い。


わたし個人としては、自分のセクシュアリティをすべての人に理解してほしいとは思っていない。

誰だって自分の「普通」と違う人間は異端だと感じるし、そういう者に対して恐怖や嫌悪を抱くのはある種の防衛本能であり、仕方のないことだと思う。


けれどもし、親しい間柄のひとがLGBTQ+当事者だと知ったなら、そのときはライザやマリオンのようにあたたかく受け入れてほしいし、間違っても心ない言葉や態度で傷つけないでほしいと願う。



昨今、BLやGLを扱ったドラマや映画などの作品が増えてきているが、グレッグの言葉を借りればわたしたちLGBTQ+の人間は「映画なんかじゃない」。

現実に、わたしたちは同性を愛したり、こころとからだの性が違ったり、多くのひとを愛したり、愛さなかったりして生きている。


これを読んでくれているのは末澤誠也さんのファンが多いだろうか。
だったら敢えて言おう、「わたしは末澤担のレズビアンだ」。

同じ国で暮らし、同じアイドルを応援している人間にだってLGBTQ+のひとはいる。それだけでも頭の片隅に置いてくれていたら良い、と思いながら、この記事を終わりにしたい。

『THE BOY FROM OZ』に見る末澤誠也の輝き

坂本昌行主演ミュージカル『THE BOY FROM OZ』を観劇した。

この作品には、坂本演じるピーター・アレンの恋人兼ビジネスパートナーであるグレッグ・コンネル役として、末澤誠也が出演している。


末澤は叶えたい夢のひとつに「ブロードウェイミュージカルへの出演」を上げていた。それが本作品で叶ったのである。
しかも、クレジットは坂本昌行紫吹淳に続く3番目だ。名だたるキャスト陣の中に「末澤誠也」の名前がある。

情報の解禁が2月27日だったため、出演を知ってからもう4ヶ月が経とうとしているわけだが、この事実だけでもまだ喜びを噛み締められている。するめよりも味がする。コスパが良い。



さて、この度末澤が演じているグレッグ・コンネルという役は、主人公ピーター・アレンをサポートし、同時にリードする立場でもあり、いかにもテキサス州の出らしいとても強かな男だ。恋にも仕事にも積極的。

そんな役柄だと聞いていたから、ここ最近上がっていたジャニーズJr.チャンネルの末澤誠也の姿を見て、きっと役の影響を受けているのだろうと感じていた。
本作の本読み稽古が始まってから撮られたであろう動画では、元来彼の持っている「男らしさ」「強さ」というのが前面に出ている瞬間が多い。


末澤誠也の持ち合わせるアイドル性は非常に多面的で、「かわいらしさ」「少年性」「無邪気さ」という一面を見せることもあれば、前述した通り、「男々しさ」「勇猛さ」「凛々しさ」をフォーカスすることもある。それらをころころと入れ替え、万華鏡のように多彩な表情を見せるのが彼だ。

実際に今回、グレッグ・コンネルを演ずる姿に、まるで末澤誠也そのままを見ているような錯覚がした。頑固でプライドが高く、けれど自分のテリトリーに入れた人間のことはとても大切にする。そしてピーターの衣装や舞台照明などもプロデュースする、美的感覚に優れた人物。
プロデューサーは本作への起用についてカミオトのパフォーマンスが目に留まったためだと伝えているそうだが、グレッグの人物像に末澤の本質的な部分がぴったりとはまる部分もあったのではないだろうか。

また本人も「舞台期間中はずっとその役のことを考えている」と言っていた。本読みの稽古が始まった5月上旬から、いやもしかしたらその前から、きっと末澤誠也の中には常にグレッグ・コンネルが宿っているのだろう。



そんなグレッグを演じるにあたり、歌の稽古から苦戦していると末澤は言っていた。
ミュージカル特有の発声、普段あまり担わない低音域のメロディライン等々の技術指南。そして、グレッグ・コンネルとして歌うためには「末澤誠也の歌はいらない」と指導されたのだと。

Aぇ! groupでメインボーカルを務める彼の本業はアイドルだ。
アイドルは自分自身が商品である。
末澤誠也」という人間性を表現し、それを売って生きていかなければいけない世界に彼はいる。
それは歌うことに対しても同じだろう。末澤誠也自身の色を出し、他を凌駕するような個性が必要になる。
しかし、ミュージカルで役として歌う場合にはそれが枷になってしまうのだという。
それはそうだ。ミュージカルは、演劇は、「役」を「演じる」ことで成り立っている。そのために「末澤誠也の色」は必要ない。

どれほどの努力がそこにあったのだろう。末澤誠也の色を取り払った「グレッグ・コンネルの歌」は、とても柔らかかった。
末澤誠也の歌を氷砂糖と表現するのなら、グレッグ・コンネルの歌はわたあめだ。声質が持つ特有の甘さは残しながら、剣のある鋭い部分が削ぎ落とされ、深い包容力を宿している。
坂本・末澤のデュオでも、末澤のクセのある部分がなくなっているため二人の歌声がよく調和していて心地良い。二人の声の相性が良いと評価されていたのはこういうことなのだろう。
また、ピーターへの愛を歌う『I Honestly Love You』は特に素敵だった。慈愛に満ちた、おだやかで優しい表情と歌声。それがさらに切々とした感情を胸に掻き立てる。


彼が登場するシーンは、どんなに多く見積もっても30分ほどだ。ピーター・アレンの生涯を150分で描く中での30分。この比率をどう捉えるかは個々人によって変わるだろうが、末澤はこの30分の中でピーターへの愛情、信頼、絆をすべて表現していた。

グレッグは亡くなってしまうが、本幕が下りるまでずっと彼はピーターの心の中に生き続ける。ピーター・アレン最後の台詞「新しいアロハも忘れずに!」までずっと、グレッグはピーターと共にあるのだ。
そのことに説得力を持たせるには、30分の演技にすべてを込めなければならない。これは末澤自身が話していたことだ。個人的感想に過ぎないが、彼は見事にそれを表現していたのではないか。

初めは警戒心を剥き出しにしているグレッグは、『If You Were Wondering』で少しずつ心を解いていく。
この曲を歌い終わったあとの声はすでに剣がなくなっており、次にピーターと二人で揃って登場するときには顔を見合わせて笑ったり小突いたりと、すでに親密な関係に変わっていることがわかるのだ。

そして『Love Don't Need a Reason』に至るまでの二人のやり取り。
死への恐怖をその身に押し込め、ピーターに激白するグレッグの切なさ。二人を深く包む愛情と非情な別れ。
ピーターの手をすり抜けていくグレッグの最期の指さきには、ピーターのステージングを見届けられないことや先立つことへの悔しさ、未練が表れていた。


過去に築き上げてきたキャリアも、その後の自分の人生の時間も全てピーターに捧げたグレッグ。
彼を演じるために去年の秋から努力を重ねてきた末澤は、また一つその努力を結晶化してきらめきを放っていた。
そして彼は今なお成長し続けている。なにせこの二日間、3公演を観劇しただけでも随所に細やかな変化が見られたのだ。

千穐楽にはさらに大きな輝きを抱いて、彼の夢のひとつだったステージに立っていることだろう。

『愛の酷薄』についてのあれこれ


前回グレショーの記事を上げたときに、『愛の酷薄』だけ別記事に、と書いたまますこし時間が空いてしまった。

※前回記事はこちら。
mellowmelon.hatenadiary.com


その間に『大暴力』は第4話の放送が終わってしまったのであるが、そのおかげでまた新たな視点も得られたので良しとする。

なぜか6,000文字近くにまでなってしまったのだが、お付き合いいただけたらうれしい。


なお、わたしは榊を泣かせた『優しいひと』の公野をまったく許せないでいる(私的感情)。



『愛の酷薄』


この配役についても、正門と末澤の関係性がうんぬんではなく、この役の性質に合うのがそれぞれ正門と末澤だったのだろうと見ている。
「想いが募りに募ってしまい、手紙にしたためて伝えそうな正門」と「相手の気持ちに気づきつつもそれとなくかわし続けてなお善意的に振る舞おうとしそうな末澤」というような。

※この記事を書いている途中で福谷さんのnoteが更新された。
「配役に関しては稽古スケジュールの兼ね合いを鑑みた部分が大きい」という旨の記述があり特別な意図はなかったと思われるが、わたしの感想として上記も残しておく。


なお、上述だけ見ると、告白する側よりも振った側の方が暴力性を孕んでいると捉えられそうだが、『この愛は警察に届けます』でも描かれていたように「一方的な好意」も暴力であることに違いはない。

つまりこの『愛の酷薄』では、双方が暴力をはたらいている図を描いているのである。



このシークエンスに関しては記述しておきたいことが二点ある。

まずは福谷さんのnoteより。

稽古の過程。
正門さんが「抱きたいです!」と宣言するところで、末澤さんに「ウェーイ」と言って欲しい(台本にはない)とオーダーしたところ、すごく悩んでいました。

僕としては、「気まずさの解消が目的。相手をフォローするつもりで、ウェーイと言って欲しい」と伝えましたが、末澤さんは腹落ちしない様子で。
「はやし立てている、おちょくっているようにしか思えない」と反論を受けました。

優しい人だなぁ…と思いましたね。
あの場、あの瞬間にウェーイというのは、末澤的価値観ではナシだったんでしょう。


引用元:【グレショー】3回目の放送の感想 |劇作家の苛立ち、そして少女としての岡添結愛。|note



このときの末澤の不承知の心理について考えを巡らせる。


彼は「高本から榊へ性的好意があると打ち明けられても」茶化したりからかったりするものではない、と考えていたのか。

それとも「自分が恋愛的・肉体的な好意を抱いていない相手からそれを打ち明けられても」茶化したりせずきちんと向き合うべきだと考えていたのか。

つまり、「相手が高本だから」なのか、「見ず知らずの相手だとしても」なのか。
それによって末澤的価値観と末澤的解釈への理解に差が出てくる。


前者の可能性が高いと思いつつも後者の可能性が浮かんだのは、榊遊詩も末澤誠也も「アイドル」だからである。


アイドルという職業は非常に特殊だ。

彼らは自分自身のルックスはもちろん、歌やダンス、演技などの技術や知力、人間性、さらには人間関係でさえも、自分の身から削り取って「どうぞ愛してください」と商品として提供する。

彼らは愛されることが仕事であり、だから彼らは愛されることに長けている。


つまるところ、もしかすると榊⇄高本といったような、すでに関係性が構築されている相手以外からでも、突然暴力的に告白されたことがある(あった)のかもしれない。

彼の性格上、そういう相手であっても真摯に向き合おうとするのではないだろうか。


もちろん、街中で遭遇したオタクに(どんなに真剣であっても)「誠也くんを抱きたいです(あるいは抱かれたいです)」などと言われるのは暴力以外の何物でもないし、そんな暴力は受けなくて良い。というか受けてはいけない。
ついでに言えば、それがもし仕事場や自宅付近だったりなどした日には、それはもう暴力でもなんでもなく、ただの犯罪である。

いくら愛されることが仕事のアイドルであっても、我々が彼らに愛を叫んで良いのは仕事の場においてのみなのであって、それらも度が過ぎないよう節度を持って愛さなければならない。


話が逸れた。

つまり仮定の話として、そういう面識のない人間であっても彼は茶化したり囃し立てたりしないのではないか、ということだ。


これについては今後おそらく答えを提示されることはないし、末澤自身どこまで意識してそう言ったかもわからないが、一つの考察のための要素として取り上げた。



そして末澤は最終的に「ウェーイ」と言ったのだが、彼はもし自分が納得していなければそれを言うことはなかっただろう。

noteにはこう続きがある。

でも、言ってもらいました。
無理やり言ってもらったわけではなく、「どうしたらウェーイと言えるか。ウェーイという言葉を発する心を組み立てられるか」というところを、二人で模索しましたね。

結果ですけども、末澤さんがフォローのつもりでウェーイと言ったのか、おちょくるつもりで言ったのか、気まずさの解消が相手のためなのか・自分のためなのか、そこはわからないです。演じた末澤さんですら自覚していないかもしれません。
そもそも我々人類は、どういうつもりでそれを言ったのかなんて、自覚できていることのほうが珍しいですからね。理由なんていつだって後付けだと思います。

でも、少なくとも末澤さんはウェーイと言いました。
それによって、あの時間の見え方がたくさん分岐して、面白いシーンになったと思います。


福谷さんとのディスカッションでその心をどう持っていったのか。心の微妙なその動きを知りたい、と思ったし、わたしは正門によってもウェーイを発することができたのではないかと考えている。


「榊を抱きたいです!」

この台詞はもう、好意という偽善の顔をした暴力以外の何ものでもないと感じているのだが、正門演じる高本は一拍置いたあと、どこかほがらかな笑みを浮かべて高々とこうのたまった。

本家、匿名劇壇での『愛の酷薄』では、もっと迫真的で余裕のない表情、台詞回しだった。手紙を読み終えるまで緊張が一続きになっている。
しかしグレショーにおいては、この正門の表情により、一旦ふっと緊張が緩和されているように思えるのだ。

高本──ひいては正門のつくり出した柔和な空気感のおかげで、末澤の「ウェーイ」が引き出されたのではないかとも感じた。



もう一点、『愛の酷薄』における榊の暴力性が弱かったことについて。


先述のとおり、このシークエンスで描かれる暴力は二点。

「一方的に恋愛的・性愛的好意を押しつけること」と、「その好意に気づきつつもそれとなくかわし続け、振ってからも善意的に対応しようとする姿勢」だ。
前者は高本、後者は榊が孕む暴力性である。

比べるものではないとわかりつつ、敢えて指摘するが、本家に比べると榊の暴力性は弱かった。


たしかに、高本が「筆で書いた」と言うまでの榊はとても白々しく、傷つけたくないと必死で上面の言葉を並べ立てているのがわかる。
しかしその後の「見せて」「いや、筆ペンだから」のやり取りのあたりから、よそよそしい雰囲気は徐々に薄れていくのだ。

「気持ち悪くなんかないだろ」「寄越せよ」「なんで。俺に書いてくれたんじゃないの」「いる」「ほしい」といった台詞の語調は強くなる一方で、そこにもう軽薄さは見当たらない。
そもそもの榊(末澤)が持っている高圧的な態度が打ち消しているというだけでない。榊、あるいは末澤が本心から「手紙を欲しい」と思って迫っているためであろう。


匿名劇壇で演じられたものは、告白された側が「要らないものだと思っていつつも、受け取ったほうが体よく収まりそう」という内心が透けて見えていた。
だからこそ、ここのラリーでは強烈な暴力が何度も叩き込まれていて苦しい。

しかし、榊(末澤)の場合は「自分に向けて書いてくれた手紙だから、想いには応えられないが気持ちは受け取っておきたい」という感情であの手紙を要求したのではないか。


もしも、本来の演技の意図として必要ではないけど、今後の友人関係を続けていくためには受け取った方がいいだろうという、ある種打算的な考えを示唆するものが「正解」だったのであれば、榊、もしくは末澤の演技は不正解気味だったのかもしれない。


ところで、わたしがこの部分に関して「榊(末澤)」と表記しているのには理由がある。
この一連の演技が「末澤誠也が榊遊詩の意思を汲み取って演技した」のか「末澤誠也自身のみの解釈で演技した」のかがわからないためである。

どういうことか。

ややこしい話だが、『これはまだ本番ではない』以外のフラッシュフィクションでは、一応「末澤誠也演じる榊遊詩が舞台稽古をしている」という二重構造になっている。

しかしこれに関して福谷さんは、その部分は基本的に除外しているという。

僕がめざすのは、「まるで演じていないみたいな演技」です。
それを『これはまだ本番ではない』のシークエンスでめざしています。
が、一方で、それ以外の短編は、ある程度エンタメ性を持たせるというか、「リアリティのある演技」よりも、「見ていて興味深い演技・伝わる表現」を優先してディレクションしています。
その際、「それぞれの短編は、『これはまだ本番ではない』に登場する彼らが演じているのだ」という前提は、話がややこしくなりすぎるので除外しています。
俳優としても、さすがにそこまで考えて演じるのは階層が深すぎるというか、演技がただただ混乱していくので…。

引用元:【グレショー】4回目の放送の感想|劇作家の苛立ち、そして少女としての岡添結愛。|note


つまり、基本的には「榊遊詩」という人格フィルターを取り払ってそれぞれのシークエンスを観て良い、ということになるのだが、この『愛の酷薄』だけは個人的には別だと考えている。

なぜか。

それは『これはまだ本番ではない③』の冒頭で榊が「この芝居意味わからんくない?」「なんで『なんだよ、それ』とか言われなあかんの? だってラブレターもらって、それが欲しいって言ってるだけやん」と言っているからだ。

榊は台本の意図が汲み取りきれておらず、本心で高本に手紙がほしいと迫っている可能性があるのだ。

末澤はそれを踏まえ、敢えて「暴力性が弱まるような演技を榊にさせた」のではないか、というひとつの仮説を考えたのである。


しかし、この台詞からは榊が「表面的に手紙を欲しがっていることはわかっていても、高本の傷つく理由だけがわかっていない」可能性も読み取れる。

その場合ではもう一つの仮説が有力になろう。
末澤⇄正門の関係性から、本心で手紙がほしいと言っている説だ。

抱きたい、と言われたときに「ウェーイ」とは言えないという価値観を持っている末澤は、いつもひとに対して誠実だ。まっすぐに向き合い、本音で付き合おうとするひとである。
しかも、告白してきた相手が今まで男友だちとして関係を築いてきた人物ということであれば、なおのこと相手の気持ちには真摯に向かい合おうとするだろう。

そういった彼の価値観が無意識に発露してしまっており、あの暴力性が弱まってしまったとも考えられる。


いずれの場合も本来の意味での正解、不正解はないし、このどちらでもない可能性もある。
ただわたしはあの部分の演技に、末澤の人柄を見た、ということだ。



それにしても、このシークエンスに関してだけは特に演者自身の関係性や人柄に着目してしまった。

なぜだろう、と考えたとき、これが男性役同士であり、本来の演者たちと非常に近い設定・空気感だったためだと気づく。


わたしはあまり「これは男同士だからこう」とか「これはBLだからこそ」という視点で非ヘテロの恋愛作品が語られるのは好きではない。
同性愛を描いたものが一つのジャンル、コンテンツ化され、消費されているような風潮が当事者としてはあまり好ましく思えないのだ。同性間であれ異性間であれ、「恋愛」ということにおいては同等で、そこになにか区別をつけること自体に違和感を抱いている。

しかしこの『愛の酷薄』に関しては「男同士だから」と特筆せねばならない。この設定だったからこそ、あの(ジャニーズファンからすると)肌なじみがよい、絶妙な空気感になったのだと思う。


『愛の酷薄』だけではなく『プリンとバイオレンス』『この愛は警察に届けます』(もしかすると『銃撃』も)といった作品すべてに言えることだが、ホモフォビアを感じなくてよかったという感想を目にした。

それは彼らがジャニーズだからなのかもしれない。

幼少期、あるいは思春期という多感な時期から同世代の男の子たちと特殊な環境を共にしてきた彼らはおそらく、そういったものへのハードルの低い人が多い。

近年ジャニーズJr.において、メディアが顕著に行なっている「メンバー同士の関係性の切り売り」も拍車をかけている理由のひとつだろう。
今回はそれがノイズを取り除くために良く作用したと感じている。


福谷さんの今回の同性カップル / 異性カップル という分け方は「そこにどれだけのノイズが出るか」という視点で決められており、「男が女装すること」という避けられない視覚的ノイズに重きが置かれていた。
その考え方にわたしは安心もしたし、すとんと納得がいった。恋愛的感情に対してはフラットな視点だからこそ、「男同士だから意味がある」と書けたのだ。



さて気づけばもう木曜日。
明後日の深夜には新たな展開が待っていると思うと胸が弾む。

相変わらず解釈や考察と呼ぶには薄すぎる、腑に落ちない感想文になってしまったのだが、ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました。

THE GREATEST SHOW-NEN 第12回公演の【大暴力】がとても良い

Aぇ! groupのレギュラー番組、THE GREATEST SHOW-NEN。第12回公演は匿名劇壇の福谷圭祐氏とコラボし、『大暴力』とのタイトルを冠した演目を放送している。

これが非常におもしろく、ついこのブログを書いてしまった。
いまはちょうど3週目が終わったところで、今後の展開も期待されるところである。

とにかくわたしが感銘を受けた箇所がいくつかあるので、それぞれ気の赴くままに綴ってゆく。



さてこの『大暴力』は、軸となるストーリーがありつつも、大枠としては「フラッシュフィクション」と呼ばれる超短編劇が連続している構成だ。

まずわたしはフラッシュフィクション一編一編における、世界観を構築する技術の巧妙さに驚いた。


フラッシュフィクション自体はそれぞれ独立した作品になっており、ある物語のワンシーンだけをくり抜いているような形だ。
一つの作品はおよそ2分〜3分といったところ。パッと目に飛び込んできた瞬間にはストーリーはすでに始まっている。

ここで重要になってくるのは、観客(視聴者)への的確かつ迅速な情報提示だ。
長編劇では、役同士の関係性や状況設定などが少しずつ明らかになってくることがほとんどだが、このフラッシュフィクションではそれを受け手に素早く汲み取ってもらう必要がある。


そこでまず最初のヒントとして、各シークエンスのタイトルを冒頭で読み上げ、モニターに映し出すという演出がある。


『この愛は警察に届けます』では、警察というワードに何か事件性のある「愛」が描かれるのだろう、という想像ができるし、『愛の酷薄』では「告白」とのダブルミーニングで告白シーンが来るのだろう(しかしそれも残酷で軽薄なものなのだろう)と準備することができるのだ。

もちろんこれは、観客側の経験値によってどこまで予測できるかは変わってくるだろう。
しかし、ユーモアを交えつつ、あまり深読みせずとも理解しやすいタイトルを視覚的・聴覚的に提示することで、その世界観にすっと入りやすくなることは間違いない。
そしてまた、この言葉選びも妙でおもしろい。

しかもこの「想像」がきちんと「正しい答え」の導入になっているから、ミスリードがないのも気持ちいいのだ。


ちなみに、『タイムマシンで来た二人』では、その情報を頭に入れておくことで、二人(今回で言えば末澤と小島)の行動や言葉、三人の服装の違いに、彼らは未来から来たのだろうと仮定を持って楽しむことができると感じた。



福谷さんによる、シーンを切り取る技術も巧みだ。

スポットライトが当たった瞬間に放たれる一発目の台詞。

もちろん、演者側が役のそれぞれにバックグラウンドを持ち、一連の流れを汲んだ上で発している台詞というのもある。
その技術もとても素晴らしく思うが、同時に、その言葉を選び取る福谷さんのセンスも光っていると思う。


たとえば、『プリンとバイオレンス』における「今日なにしてた?」では、一日の終わり(おそらく夕方〜夜)という時間設定と、親密な関係性の二人(同棲しているかも?)が昼間は別々のところにいて不干渉だった、という背景がすぐに汲み取れる。

※ちなみにグレショーでは「今日なにしてた?」は草間の台詞。その声質の柔らかさからも二人の親しげな雰囲気が滲みだしており、特に秀逸だったと感じる。



また『選りすぐりの孤独』では、『孤独』と提示されたタイトルのあとに、「二人一組になって」という絶望に近い台詞が繰り出される。

日本で義務教育を受けた人間の多くは想像できるのではないだろうか。これが恐らく教師の台詞で、いまは体育の授業か何かで、二人一組になってストレッチや競技、もしくは測定を行うシチュエーションだろうと。
そうして誰か一人はいつも組むことができず、仲間外れのような状態になるのだろうと。


ただし、ここでその絶望を感じるか否かは、学生生活をどう過ごしてきたかによって異なるだろう。

なお、わたしは「(最悪な台詞だな)」と思った前者の人間だ。
福谷さんのnoteによると、このシーンの稽古ではメンバーが和気あいあいとしてしまい、苦労したらしい。

すごく性格の悪い言い方ですけど、「(この人たち…こういう経験マジでなくて、感覚として一切持ってないモノなんじゃないかな…。余るのも、余らせるのも…)」と思いましたね。
たぶん余るような人間じゃないし、余りそうな人がいたら、なんの躊躇や思い入れもなくサッと声掛けできるような人間たちなんじゃないかなと。
4行しか台本がないので、みんなでエチュードっぽく、ワチャッとやらせると、ほんと光がスゴくて、僕が描こうとする影を見事に吹き飛ばすのでほんまウケましたわ。


引用元:【グレショー】2回目の放送の感想|劇作家の苛立ち、そして少女としての岡添結愛。|note



その姿が想像できてウケた。
まあ、そりゃそうだわな、天下のジャニーズに入れるような人たちだもんな。

だからもしかしたら、このシークエンスに居心地の悪さを感じない人もいるのかもしれない。
経験値の差異がものをいうのは、こういうところにも現れるのだなとハッとした記述だった。


そしてこの「孤独に選ばれまくった暴力」をこの形で表現できる福谷さんに脱帽。



他にも『大暴力』で描かれる世界は、どれも身近に潜む暴力ばかりだ。

それは「体の暴力パンチ」のような可視化された暴力だけでなく、無意識だったり、本人には悪気がなかったりもする。拮抗した圧力、内側からじわじわと迫り来るなんとも言えない恐怖。
そういう心理的ストレスみたいなものは、確かにすべて「暴力」なのだと気づかされる。

そしてそれを否定も肯定もせず、淡々と表現していく(今のところは)。

シーンを打ち切る、暗転のタイミングも絶妙だ。
引き際を心得ていて、この人たちはこれからどうなるんだろう、と考えてしまうようなところで切り離されてしまう。
そこがまた小気味よくてクセになる。


そんな、誰もが予見できて、身近にある暴力だからこそ、息をつめて見入ってしまう。そわそわと腰を浮かしてしまいそうな暴力の予感や予兆、不快感の演出が上手いのだ。

さらには舞台演劇だからこその表現トリックも隠されているようなので、そこも今後の楽しみのひとつである。




そういった作品の世界観のほか、配役(キャラクターの描き方)の上手さにも震撼した。
福谷さん的に書き表すなら「こっっわ。なんでそんなとこ見えてんの」だ。まじでこの人こわい。すごい。

※以下、フォーカスされてる面の特性上、悪口っぽく読めてしまうかもしれないので注意



比較的、各フラッシュフィクション上でキャラクターたちが演じている役柄は、メンバーのパブリックイメージに沿っていたり、これまでのグレショーの配役などから見ても分かりやすいものだと思う。

『プリンとバイオレンス』の草間/佐野のカップルでは、あの二人特有の柔らかい雰囲気を上手く醸しているし、『銃撃』の小島は裏表がなく、ちょっと粗野なところがある一面、『君の剥製』の福本は陽気でありながらもどこか粘質な病んだ精神(いわゆるメンヘラっぽさ)があるところを引き出している。

『理想と現実と現実』『愛の酷薄』の正門など、「主人公気質」と評される彼にぴったりだ。実直で、優しくて、熱い人。その反面、『銃撃』に見る湿っぽい神経質さも併せ持っている。


(末澤のオタクなので)末澤に関しては後述するとして、問題はこの『大暴力』の主軸となる「不仲なアイドルグループ」のキャラクター設定だ。

正門→高本薫
末澤→榊遊詩
草間→ナットペンドルトン克己
小島→公野景
福本→三城平教祐
佐野→安堂世志輝

この6人がありのままの6人を演じている『これはまだ本番ではない』。
ここは特に本質的な部分を捉えて配役されてるように感じていて、各メンバーの本質が露見しているのに震えあがった。

たとえば、高本の内側で感情を煮詰めまくっている面や、グループ内の均衡を保つために自分を殺す自己犠牲的なナット。自分にしか関心がない自己中心的な公野、あまり関わろうとしないでいる他人行儀な安堂。

そして、榊と三城平の、自己主張の激しさと感情の発露の易さ。
しかもまた、ここ二人が特に表立っていがみ合っているのがなんともリアルだった。


演者自身の関係性を振り返ってみたい。

末澤にとって、福本はメンバーの中で唯一直属の後輩だ。
草間はほとんど同期で、あとのメンバーは後輩だが、グループ結成までほぼ接点はなかった。

中学・高校の学年関係になぞらえれば、一年生に対して二年生の先輩はやけに厳しく、三年生の先輩は優しかったというような話はさほど珍しくないと思う。
これで言えば、末澤と草間が三年生にあたり、福本が二年生、ほかの三人は一年生というような関係性と言えるだろう(入所歴ではなく、あくまで上下関係の比喩だ)。

だから、末澤は福本に対してとても厳しいし、口調も強くなってしまうのだろうと見ている。
しかも前述の通り、福本も末澤と同じく自己主張は激しいタイプだ。自分と似たような性質を持つ後輩だからこそ、余計に気にかかるのかもしれない。


そして福本も、末澤が一番「狂犬」だった時代に同じ現場のバックについたりシンメになったりしていて、正直なところまだ「怖い先輩」という感覚が抜けていないのではないだろうか。

小島、佐野と共にせーやくん好き好き!ムーブをしている場面がよくあるが、小島が末澤に少年性を見出して可愛がったり、佐野が末澤をカリスマと称して憧憬を抱いているのと同じほど、強い好意があるとはあまり感じられない(もちろん敬愛の念があるのはわかっている)。


だから、ここ二人の関係性を見抜いて榊と三城平を対立させている福谷さんが心底恐ろしいのだ。

過去のグレショーでも、メンバーの本質を突いているな、という配役の上手さは何度もあったが、ここまで各メンバーのアイドル性を無視した性質、というか、ある意味でものすごく人間的な部分をフォーカスしたキャラクター設定をしているのが衝撃的だった。



なにを見てこの設定にされたのか。
福谷さんによると、一番参考にしたのはかの有名な正門ゲーム回のAぇちゅーぶらしい。

それを言われれば、なるほどと手鎚を打つより他にない。
そりゃあ榊と三城平を対立させるだろう。


しかし、あれと数本の映像媒体を見ただけで、ここまで芯を食ったキャラクター設定にできるのはさすが、と舌を巻いてしまう。
演出家、脚本家というのは恐ろしい。

福谷さんはこうも書かれていらっしゃる。

この動画を何度も見て、「彼らの腹の底の底にある相関図を浮き彫りにするのが俺の仕事や」と思って、今回のグレショーの稽古に臨んでいました。
なんでそんなことが俺の仕事なのかは全然意味わかりません。
この動画をうがった目で見過ぎて、もう僕には彼らが不仲にしか見えなくなりました。目が腐りました。


多分、福谷さんの目はうがっているのでも腐っているのでもなく、心眼なのであろう。




さて、最後に末澤のオタクらしく末澤のことを書いて終わろうと思う。

末澤誠也演じる榊遊詩の配役が、あまりにも「末澤誠也」で笑ってしまいそうなのはわたしだけだろうか。すえざわくんってそうだよな、と納得するしかないのである。



『タイムマシンで来た二人』
言い訳がましくて自己中心的、自分と自分の周りの人間が幸せに過ごせるならそれでいい、というような利己的な考えが明け透けな榊。
ここに、「とにかく格好をつけていたい」末澤を掛け合わせることで、どうしようもなくて後先考えられない人間像が浮かび上がっている。


『理想と現実と現実』
声質や中性的な顔立ちから女子生徒役をやったのかと思いきや、福谷さん曰く「末澤さんはオスっぽいので、女子生徒をやると逆に面白いかなと。」とのこと。

そう、末澤誠也は(リベラル的表現ではないが)「男(漢)らしい」人間なのだ。仕草も表情の作り方も歩き方だって雄々しい。
本人は「俺Aぇの姫らしいから(笑)」などと言っていたが、それはグループ内でのキャラ付けなのであって、本質としては男らしくありたい(ジェンダーバイアスゴリゴリの表現で申し訳ない)のが彼の本意だろう。
それを見抜いた上でのこの女子生徒役は、演技の振り幅も見ることができた。


『愛の酷薄』については長くなりそうなので別記事にしておく。


(追記)
書きました。
mellowmelon.hatenadiary.com




グレショーのおもしろいところは、さまざまなスタイルの演劇を楽しめることにあるが、オタク的にはメンバーの関係性の変化や演技における葛藤、スキルの向上を見れるという点にもある。

そしてさらに、各演出家さんのフィルターを通したAぇ! groupのメンバーを見ることで、彼らがより多面的に、立体的に見えてくるのだ。
今回はフォーカスされている面がより根底の部分にあるため、好き嫌いははっきり分かれると思う。

わたしはその部分を好ましく思うし、もっと見たい、知りたいと思っているので次回公演以降も楽しみだ。


ひとまずこの記事はここまで。
お読みくださった方がいらっしゃったのなら、ありがとうございました。

ボーカリスト末澤誠也の覚醒

この冬、末澤誠也の歌声に震撼した人間はどれほどいただろう。あの、突き抜けるような力強い歌声に。



2021年12月19日、 Aぇ! groupの単独公演を皮切りとして『関西ジャニーズJr.LIVE 2021-2022 THE BEGINNING 狼煙』は幕を開けた。
そこで初披露されたAぇ! groupの新曲『PRIDE』は、今までにないロック色の強いナンバーだった。メロディックパワー系のメタルサウンドで、末澤くんのハイトーンボーカルが非常に印象的な楽曲だ。


もともと、末澤くんは冴え渡るハイトーンボイスが武器のひとつ。その音域の高さを生かしてフェイクや高音パートを担うことも多い。

しかし今回の『PRIDE』は、今までの高音域をはるかに凌駕する最高音HiGの楽曲だ。それを彼はメインボーカルとして、エネルギッシュなパフォーマンスと共に全身で歌い上げている。


あれは正真正銘、「ボーカリスト末澤誠也」としての歌だった。


(追記:良ければパフォーマンス動画先に見ていってください)


メインボーカルとしてのプライド


思い返せばAぇ! groupが結成されてから、末澤くんはずっと「歌に力を入れていきたい」と言っている。
それは彼が「赤を担う人」だからなのではないかと常に考えてきた。


そもそもAぇ! groupは、プロデューサーである横山裕くんの「関ジャニ∞と同じように、何でもできるグループを作りたかった」という意思の基で組まれている。そのため、メンバーカラーも関ジャニ∞のそれと担当楽器がかぶるように指定されているのだ。

ギターは安田くんの青、ベースは丸山くんのオレンジ、ドラムは大倉くんの緑、キーボードは村上くんの紫。
さらに関ジャニ∞が7人体制だった当時、ツーボーカルとして錦戸亮ちゃんが黄色を、そして渋谷すばるくんが赤を担っていた。

メンバーたち本人からはっきりとした言及はないものの、おそらく横山くんのグループ結成の意図は認識しているだろう。


末澤くんは、赤を担った時点で「メインボーカル」という立ち位置になったのだ。



昔からお母さんとカラオケで練習したりボイトレに通っていたりしたこともあり、すでに歌唱スキルが高く、歌は得意だったはずだ。しかしリチャードくんと二人、ダンス面に加えボーカル面でもグループを牽引しなければならない立場は、プレッシャーも喉の負担も大きかっただろう。

事実、2019年冬に行われた初めてのAぇ! group関西単独ツアーでは、4日間連続計7公演の大阪公演終盤、末澤くんのボーカルパフォーマンスはかなり限界だった。
最終日の夜公演で、鳴り止まないWアンコールに対して(真偽のほどは定かでないにしろ)「自分の喉が限界で応えられない。申し訳ない」と頭を下げる場面もあった。

本人も、この時期は主演舞台の稽古と重なっており、1日目から声が出なくなってしまったと後のインタビューで話している*1


それを受け、さまざまなところで喉を強くしたいと話していた末澤くん。「シャウトは負担がかかるが、会場のボルテージが上がる大事なポイントのため、いつでも担える状態でいたい」と話すその言葉には、メインボーカルとしての強い責任感と矜持を感じる。

以来、常に重点的な喉のケアをするようになった彼は、2020年9月の単独Zeppなんば連続10公演でも、2021年夏の松竹座計40公演でも、まったく喉を潰すことなく完走している。



努力で勝ち得たシンデレラボーイ


また、彼は公演をこなすごとに、喉の強さだけではなく歌唱スキルもさらにレベルを上げている。

先の2019年単独ツアー後に行われた、2020年の関西Jr.による年始のコンサートでは、シャッフルメドレーにてなにわ男子の大橋和也くんと二人『もう君以外愛せない』を披露した。
このときに着いていたスタッフはAぇ!の単独公演と同じ方だったといい、「単独のときよりもピッチが安定するようになったと褒められた」と末澤くんは語る。


もちろんそれは末澤くん自身の努力あってのことだ。
これ以前も、これ以降も、彼の努力が結果となって現れているものがたくさんある。

2017年ごろからボイトレに通っていた末澤くんは、2年間で音域を2つ広げるまでになった。
一旦は休んでいたものの、「自分に合う先生が見つかったら再開したい」と言っており、2021年の8月末ごろからまたレッスンを受けている。


その成果はすぐに現れた。
10月1日に行われた『Johnny's village #4』では、小島くん、佐野くんと共に関ジャニ∞の『キミトミタイセカイ』をカバー。ファルセットとチェストボイスが行き来する難しいメロディラインを持つこの曲で、末澤くんはトップラインの高音を柔らかく、丁寧に響かせ賞賛を上げた。

また、同年末のラジオ*2で「音域が3つ上がった」と話し衝撃を与えたのは記憶に新しい。


末澤くんは歌だけでなく、ダンスも演技も秀逸だ。
しかしそれらは全て生まれ持っての才能というよりも、彼がひたむきに努力を積み重ねてきたからこその結果と言える。

もちろん、持ち前のセンスや勘の良さもあるだろう。
飲み込みが早く、課題として与えられたものを昇華してすぐに自分のものにできる柔軟さがある。
そして、それに加え何事も諦めず実直に練習を続けてきた結晶が、彼のパフォーマンスとして現れているのだ。


関西のシンデレラボーイと言われて久しいが、彼はただ急に上から推されるようになったのではない。
日々、こちら側からは想像もつかないような鍛錬を重ね、実力で今の立ち位置を獲得した正真正銘努力型のアイドルなのである。



多彩な声色を持つボーカリスト


そんな彼の歌には、ハイトーンボイス以外にも多くの魅力がある。
その一つが、表現の多様さだ。

末澤くんは歌う楽曲によって声音を変えられるタイプのボーカリストなのではないだろうか。



これはジャニーズJr.特有のことだが、ライブでは先輩グループの楽曲をカバーすることが多い。
特にAぇ! groupは、同じ関西ジャニーズでバンドスタイルを取る関ジャニ∞の楽曲を歌う機会が非常に多く、2019年の単独コンサートから様々な曲をカバーしてきた。

これまでに『T.W.L.』や『DONAI』、『罪と夏』『WASABI』などが披露されている。その中でも末澤くんのボーカルが際立つのはやはりバンドスタイルで演奏される曲だろう。


バンドでの最初のカバーは『West Side!!』だった。この曲はもともと、渋谷すばるによる「West Side――」という力強く伸びやかなシャウトから始まる。
当然、末澤くんも同じように歌っていたが、2019年当時はまだ声も細く、「渋谷すばるの歌い方にがんばって寄せようとしている」という印象が強かった。それは2020年の京セラドーム公演で披露された『勝手に仕上がれ』でも同様のことが言える。


先にも述べたように、末澤誠也渋谷すばるに準えられることが多い。特に二人は声質に似た特性*3を持っているため、像が重なりやすいということもあるのだろう。歌割りもすばるくんのパートを担うことが多かった。

しかし、『勝手に仕上がれ』が発表された当時のすばるくんは34歳。『West Side!!』がリリースされた年でも32歳だ。
この頃のすばるくんの歌声というのは、太くどっしりとした低音がすでに確立されているため、どうしても25歳の末澤くんが歌うと華奢な輪郭が際立ってしまうのだ。迫力に欠けると言ってもいい。それは年齢的な声帯の発達もあるし、経験値も違うのだから当然のことと言えよう。



しかし数年後、末澤くんの歌声に明確な変化が見られた。2021年6月にオンエアされたAぇ! groupのレギュラー番組『THE GREATEST SHOW-NEN 』でのことだ。
第6回公演「銀河鉄道の夜」は、ミュージカル形式を取る演目だ。その中で末澤くんは、正門くん演じるジョバンニの父親役として、漁師を演じている。

漁に向かう荒波のシーンで、末澤くんは芯のある中低音をしっかりと響かせて歌っていた。それまで低い音域はどちらかというとやや不安定になりがちで、がなりも弱いイメージだった彼の歌に、気迫が増していたのだ。

「キャラクターだけで演じた」ためにとても挑戦する部分が大きかった、と話していたこの公演。演技だけではなく、歌の部分でも得るものが多かったのではないだろうか。


そして同年7月30日、『関西ジャニーズJr. Summer Special 2021』の幕が上がった。

二日前になにわ男子のデビューが発表されたこの日から、Aぇ! groupは実質関西Jr.の最前列に立ち、関ジュ全体を引っ張る立場になっている。


その公演の終盤、バンドコーナーで披露された『NOROSHI』の歌と演奏は圧巻だった。凛として強かな歌声、その佇まい。
そして、腹の底を轟かす大太鼓の音も、全身を震わせるバンドサウンドも鳴り止んだ一瞬に歌われる、「手のひらが背に触れた」。

暗雲に迸る閃光のようだった。どこか切なげで、しかし明確な意志を持つソウルフルな歌声は、あのソロパートを担うにもっとも相応しい。


それはまさしく、末澤誠也であって渋谷すばるなのであった。
だが、末澤くんがそう歌ったのは、「渋谷すばる」のソロパートだからではないだろう。おそらく、あの歌い方が最も「楽曲に合った声色」だからなのだ。

2021年7月、末澤くんは自身の歌についてこう語っている。

自分の声については、今後もっと"色"をたくさん持てたらいいなって思ってます。声色だけでお芝居をしたり歌ったりするわけじゃないけど、歌う楽曲によって、または演じる役によって声も違うようにできたら、もっと幅が広がるような気がしてて。

(Stage fan vol.13)


その言葉通り、いまの末澤くんは楽曲によって見事に声の色を変えている。


例えば、SixTONESの『JAPONICA STYLE』や『Special Order』では京本大我くんのような透明感ある涼やかな声で。

KAT-TUNの『Never Again』では赤西仁くんや亀梨和也くんのような艶っぽく色めいた声で。

Kis-My-Ft2の『運命Girl』やHey!Say!JUMPの『White Love』では、北山宏光くんや山田涼介くんのようなキュートで甘さのある声で。


さまざまなグループの、多様なジャンルの曲を歌う今だからこそ、彼の声の表現力は広がりを見せ、その楽曲によってもっとも美しく映える声色で奏でているのだ。



続く旅路への覚悟


それでは、誰の色にも寄らない、末澤くん自身の色が一番濃く出る楽曲とは何か。それこそが、Aぇ! groupのオリジナル曲だと言える。

中でも、冒頭で触れた今回の新曲『PRIDE』は、今までで最も末澤くんのポテンシャルを引き出し、歌唱力を最大限に活かした楽曲だ。


なににしろキーが高い。鬼か地獄かというほどの高音域で構成されたサビ。しかもラスサビではそのさらに上をいくシャウトでたたみかけるのだから驚かされる。
ボーカリスト末澤誠也の、超絶技巧ここに極まれり、である。

さらには、公演を重ねるごとに目に見えてピッチの正確性、声量の大きさ、表現力の広がりが増しているのだから、彼の進化は留まるところを知らない。


なお以下は、『PRIDE』の作曲家・サクマリョウ氏と作詞家・川島亮祐氏の投稿である。
このpostからも、いかにこの曲がハイレベルであるかが伝わってくる。


バケモノピッチ曲というパワーワード



そしてまた、末澤くんの歌声は鮮明かつ正確なだけではない。彼のヘッドボイスはあまりにも華やかで、煽情的なのだ。

末澤くんはこの曲を「毎回死にそうになりながら歌っている」と話していたが、それは恐らく、技術的にギリギリのレベルで歌うのが難しいという意味ではないだろう。

彼はこの歌を、自身の魂を削って歌っているのだと思う。


それほどまでに、『PRIDE』での末澤くんは彼にしか持ち得ない色を全身全霊で体現し、歌い上げている。




またこの曲では、グループとしても非常に挑戦的な試みをしている。
それが歌割りだ。


今までAぇ! groupがバンド形式をとって披露してきた曲は、多少の偏りはありつつも各メンバーが必ずソロパートを担ってきた。
Aぇと同じくバンドを組んでいる関ジャニ∞や7MEN侍も同様の歌割りをすることが非常に多い。

しかしこの『PRIDE』は違う。Aメロの歌い出しからラスサビまで、ほとんど末澤くんがメインボーカルを取っている異例の歌割りだ。
同じくボーカルを取るリチャードくんは基本下ハモで末澤くんの高音を支え、2Aメロやラスサビで力強いラップを披露している。

他のメンバーにソロパートはない。
佐野くんのドラムと大晴くんのベースが激情を煽るような重厚感あるリズムを生み出し、正門くんのギターと小島くんのキーボードが叙情的かつ疾走感溢れるメロディを奏でる。彼らはほぼ楽器の演奏に徹し、曲の世界観を構築しているのだ。


一般的なバンドであれば、メインとなるボーカリストがいて、他のメンバーは楽器を演奏するだけというのは特段珍しいことではない。むしろそれがメジャーなスタイルであろう。

けれどジャニーズにおいて、それはあまり例を見ないことだった。
あくまで彼らはアイドルでありバンドマンではないのだ。特に露出の機会が少ないジャニーズJr.のファンにとっては、「自分の好きなタレントのソロパートはもらってなんぼ」の意識が強い。好きなアイドルの歌っている姿が見たい、声が聴きたいと思うのはファン心理として至極当然のことだ。


だからこそ、今回の歌割りはAぇ! groupにとって大きな挑戦だったに違いない。

これは、今後の道を歩む上での彼らの「覚悟」であり「決意表明」なのだ。


他のバンドと同じスタイルを取るということは、それだけ歌も演奏も秀でていないと成立しない。「アイドルだけどバンドもちょっとできますよ」というような、生半可なものでは許されないのだ。

強靭な歌声を支えられない演奏でもいけないし、派手なバンドサウンドにかき消されてしまう歌でもいけない。そのどちらもプロフェッショナルなレベルにまで達してはじめて、同じスタイルの相手に勝負を挑むことができる。
今のAぇ! groupは、歌も楽器も、それを可能にするだけの力量を持っているのだ。


「Aぇ! groupの武器」のひとつとして、あの末澤くんのハイトーンボーカルを際立たせた強力なバンドスタイルは、他のJr.グループと違った個性を魅せつける非常に大きな要素だ。

この『PRIDE』という曲は、間違いなく"今"の末澤誠也でなければ歌えない。


ジャニーズJr.戦国時代を勝ち抜くための強力な武器。
それをしっかりと携えた末澤くん、そしてAぇ! groupが、これからどんな躍進を遂げるのか。期待に満ちた2022年の幕開けとなった。



1/27、1/30 追記


本日、待ちに待った『PRIDE』のパフォーマンスが収録されたダイジェスト動画がアップされた。
気になった方はぜひ一度再生してみてほしい。

・イントロ〜1サビ

Aぇ! group(Ae! group) "Kansai Johnnys’ Jr. LIVE 2021-2022 THE BEGINNING~NOROSHI~"Highlight Videoより


・落ちサビ〜ラスサビ

関西ジャニーズJr. "Kansai Johnnys’ Jr. LIVE 2021-2022 THE BEGINNING~NOROSHI~" Highlight Videoより



特別お題「わたしの推し

*1:日経ヘルス 2021Summerより

*2:2021年12月28日O.A. 関西ジャニーズJr.のバリバリサウンド

*3:4000Hzあたりの中音域が最も強く出る声。ファンファーレやサイレンの周波数と同じなために声がよく通る

なにわ男子のデビューと末澤誠也くんのこと


唐突だが、自担が病むと大抵のオタクは一緒に病む。


だからと言うわけではないが、好きなアイドルには心身ともに健やかでいてほしい。なるべくなら、いつも笑って楽しく過ごしてほしい。これは多くの人が願っていることだろう。わたしもその一人だ。


だから今日も問いかける。
末澤くん、元気にしていますか?




なおこの記事は、末澤誠也くんのいちオタクが好き勝手に推察をして解釈を書いているだけだということをあらかじめ断っておく。





さて、末澤誠也というアイドルは世間の人たちにどう映っているのだろう。

わたしにとって彼は、「末澤誠也」という己をしっかりと持っていて、強かで、芯がある。そんなイメージ。少しのことでは揺らぎもせず、力強い言葉で後ろを引っ張れる人。


でもそれはもしかしたら、末澤くんが自己暗示をかけた表面を見ているだけなのかもしれない、とこのごろよく感じるようになった。

末澤くん自身がこうありたい、こうなりたいと願って自らそう立ち振る舞っている部分。
実は根幹はそうではないのかもしれない、と思うことが、今年に入ってから多くなったように感じる。


自己暗示。言うなればそれは自己実現のための大切なプロセスだけれど、彼の場合、自己暗示をかけてそこに集中することで、根幹の本質的なところから目を背けているのではないか、と思うことがある。


そう思ったきっかけはある雑誌での発言だった。
その雑誌では、末澤くん自身の仕事の向き合い方、考え方などについて語られていた。

もちろん、グループを組んだからにはCDデビューしたいと思いますけど、そういうこともここ1年ぐらいであんまり深く考えへんようになりました。だってほんまに今、エンタメ界全体も事務所もこの1年でめまぐるしく変わっているから。3年後、4年後にどうなっているかは全く分からない。俺は年齢的な焦りはなくはないけど、現場でちゃんとやっていれば、その先に何かある気がしていて。新しいデビューの仕方が生まれるかもしれないし。

(日経エンタテイメント!2021.6)


正直、このテキストを初めて読んだときはかなり苦しかった。
CDデビューを見据えて今の活動を続けているのではないのか。それなら、今のグループとしての、末澤くんとしての目標はなんなのか。どこを目指して進んでいるのか。
責める気持ちはなかったけれど、どうしようもなくショックだったのを覚えている。


たしかにこの雑誌の発売当時は何度目かの緊急事態宣言が発令されている最中で、まだまだ舞台やコンサートの公演中止が相次ぐ状況だった。
コロナ禍でエンタメのあり方が変わったことは事実だし、その影響も計り知れない。なにわ男子のデビューだって、コロナがなければもっと早かったかもとすら言われている。


末澤くんが言いたいこともわかる。だけど、だ。

デビューを諦めたわけではないにしろ、そう言われてしまうとこちら側としては悲しかった。


このことを、仲の良い藤原担に話した。

ひとの心の機微にはいっそう敏感な彼女はいつも論理的に答えてくれるから、なにかあるとわたしはいつも泣きついている。
彼女は、末澤はきっと不安なんじゃないか、と言った。


「ひとって、不安や苦しみに向き合うことはものすごく大きなストレスなんです。もちろん、真正面から立ち向かって解決するのはいいことですけど、それができなくて心のバランスを崩してしまう人もいる。

だから、その不安に目を向けないようにすることで心を守るのも、自己防衛としてただしいあり方の一つなんですよ」


2020年からのこの1年は、誰もが先のことを案じた年だったに違いない。それこそ、「このままでデビューできるのか」という漠然とした不安も抱いただろう。

それを末澤くんは、「既存のデビューの仕方じゃなくても、なにか別の形で叶うかも」と考えることで「CDデビューできるのか」という不安から思考を逸らしているのではないか。


また、末澤くんは同じ雑誌で自身の仕事の捉え方についても話している。

グループが結成される前までは個人戦だったけれど、今はグループに還元したいという気持ちがある。Aぇ! groupのメンバーに個人仕事が決まると嬉しさ半分、悔しさ半分になると話した上で、なにわ男子に対する思いも語ってくれた。

メンバー以外、例えばなにわ男子とかに新しい仕事が決まっても、僕はそこに悔しい気持ちはないんですよ。ネタとして「なにわ男子は王子様やのに、僕たちは〜」みたいなことを言うときもあるけど、正直、本心ではそういう考えでやっていない。俺ら自身は、なにわ男子と自分たちを比べてないから。「Aぇ! はAぇ! のペースで」って言える自信もあるし。焦りがあるとしたら、それは俺たちの中での話。ファンの方が自慢できるグループでおれるように頑張らなあかんと思ってるから。

(日経エンタテイメント!2021.6)


これはAぇ!結成当初から、末澤くんがずっと言ってきたことだ。
まいじゃにでもなにわ男子をライバルに挙げるメンバーがいたりする中、末澤くんはライバルを「いない」としていたし、Jr.維新*1の中でも「Aぇ! groupはキラキラじゃないってみんなよく言うけど、僕はそう思ったことないです。〈中略〉俺らもキラキラやで」と話していた。

それくらいAぇにはAぇの色があると考えていて、自分のグループに自負と誇りを持っている、そんなことが窺える。




さて、来たる7月28日、なにわ男子のCDデビューがコンサート中にサプライズ発表された。
この模様はYouTubeを通して生配信され、リアルタイムで見ていた人は多かっただろう。


デビュー発表後、一番にそれについて触れられたのはやはりAぇ!!!!!!だった。
7月29日に小島くん、翌30日に正門くん、そして8月2日に末澤くんが更新。

小島くん、正門くんが「デビューおめでとう!」と書いている中、末澤くんは直接なにわ男子のデビューについては触れず、「Aぇ! group6人で絶対にデビューします!!!!!!」とだけ綴っていた。


絶対にデビューする。なんて力強い言葉なんだろう。わたしはその一文を読んで泣き崩れた。何度も何度も読み返した。ずっと目に留めておきたくて、スクリーンショットをロック画面にしたほどだ。

CDデビューという形でなくても、と言っていた末澤くんが、絶対に、デビューする、と宣言してくれた。これ以上うれしいことがあるだろうか。
だって、これは末澤くんが「デビューしたい」という己の願望にきちんと向き合ってくれた証拠だ。


ずっと聞きたかった言葉。末澤くんが今を生きている答え。それを引き出してくれたのは他でもなく、なにわ男子のデビュー発表だったのだ。




しかし、安堵したのも束の間、今度は「なにわ男子のデビュー」ということについて、真っ向から立ち向かえていないのでは、と思うことになる。



発端は8月14日に掲載された、産経新聞内ごっつええやんの記事中にある。
デビュー発表後はじめてのインタビューが世に出たのがおそらくこの媒体で、末澤くんは佐野くんと二人、728の日をどう過ごしたのか話した。


佐野くんは「生配信を家で見てて、素直に喜びました」と話したのに対し、末澤くんは「僕はネットニュースで知って、丈には「おめでとう」と連絡したくらい(笑)」と言っていたのだ。


小島くんと大晴くんは二人で松竹座の楽屋で配信を見たと書いていて、正門くんもリチャくんもリアルタイムで見ていたとブログに綴っていた。
当日はおそらくサマスペのリハがあっただろうし、リチャくん、佐野くんが家にいる時間帯に末澤くんが自宅にいなかったとは考えづらい。

もしかして、末澤くんは敢えて生配信を見なかったのではないだろうか。
わざと、自分自身の決断として、見ないことを選んだのではないだろうか。


もちろん、万に一つの可能性として、末澤くんに私用があったり、個人仕事があって家にいなかったことは考えられる。

しかしなにわのデビューについて、末澤くんはこの記事を書いている11月10日現在まで一度も「おめでとう」と言っていない。Aぇの他のメンバーや、他のJr.の子たちが言うように、感動したとも、嬉しかったとも、しかし悔しいとも言っていないのだ。


その後の雑誌で、末澤くんはこんなことを語っている。

なにわ男子のデビュー発表を聞いたからって、自分の気持ちに変化は、全然。俺は別に何も変わってない。なにわ男子はライバル視する相手ではないし、728の日は何かあるやろうなって、なんとなく感じていましたから。

(STAGE navi 2021 vol.59)


同じ記事内で、リチャードくんが「ちょうど前日にAぇ! groupの中でも、「明日のライブで何か発表があるんちゃう? なにわの日やし」みたいな話になってて。初めは 全員で早めに松竹座入らせてもらってYouTube見る?って言ってた」と話している。

7月28日の公演はなにか発表があるだろう、と彼もわかっていた。その上で配信を見なかったのは、やはり意図的だったと思われる。


以前から、なにわはライバル視する相手ではない、と言っていた末澤くん。
本当に気に留める相手でないのであれば、配信を見れたのではないか。


ましてやなにわには末澤くんと非常に仲の良い藤原丈一郎くんがいる。その丈くんがいるグループの発表に対し、無関心を装うのはあまりに不自然な気がした。
事実、デビュー発表を受けて丈くんにだけはお祝いの連絡をしているのだから。

むしろ末澤くんは、丈くんがいるからこそ、生配信を見なかったし、悔しいとも嬉しいとも、なにも言及しない(言語化できない)のではないか、とすら思う。



末澤くんと丈くんの仲の良さは周知の事実だ。

仲が良いJr.と訊かれれば必ずと言っていいほど互いの名前を出すし、プライベートでも昔からよく遊んでいて、そのエピソードといったら枚挙にきりがない。
恋のライバルにしたくないのもお互い、仕事の話や相談をよくするのもお互い。それぞれの現場にも頻繁に顔を出し合い、同じ現場ともなればいつも二人で楽しそうに笑い合っている。
もしもJr.大賞に距離感のおかしいJr.ランキングがあれば、まさにしと並ぶ順位を取っていてもおかしくはないだろう。

そんな二人のことを丈くん自身は「かけがえのない戦士」「関西Jr.のメッシとスアレスと表現していて、グループが分かれてからもそれぞれが影響し合い、切磋琢磨しているように見える。



けれど末澤くんにとっての丈くんは、ただ仲の良いJr.、良き理解者、ライバル、というだけではないはずだ。


末澤くんが入所したときには、年下の丈くんはすでに5年のキャリアを積んでいて、舞台でも役と台詞をもらっていた。
約2年もの間仕事に呼ばれない期間があった末澤くんに対し丈くんは常に表舞台に立っていたし、同じ括りになってからも丈くんはそのグループの中で一番前に立っている。

ステージから降りれば横並びで話しても、舞台上では常に藤原丈一郎の背中を見てきた。それが末澤誠也という男だ。


事実、末澤くんは維新の中で自分が後ろの状況が悔しかったと語っている。

おととしの、あけおめコンのときには、立ち位置と衣装の差が明確に出たんですよ。1階と2階に分かれてて、僕は2階…。結構キツかった。丈やリチャが気ぃ遣ってて、それも分かるからこそ、つらかったです。

(週刊ザテレビジョン 2020年2月14日号)


そしてまた、丈くんのことを敬愛しているのも事実だ。

末澤くんがはっきり丈くんのことについて語ることは少ないが、「丈はいろいろすごいやつやからな」*2と言ったこの一言には全てが詰まっていると思う。
末澤くんにとって、丈くんはすごいやつ、なのだ。彼の中でのその存在は、こちら側からは計り知れないほど大きい。

直近のなにわ男子に向けた祝福のコメントでも、末澤くんは丈くんにだけメッセージを寄せて、こう話している。

デビュー発表を聞いて連絡したのは丈。俺は丈のお笑いセンスが好きやし、そばで見ていてずっとすごいなって思ってたから、これからも変わらずお笑い担当として、なにわ男子を引っ張ってください。
しっかり者で、思いっきりふざけることもできるってすごいことやと思うよ。

(週刊ザテレビジョン 2021年11月19日号)


信頼と尊敬、そして憧憬。けれどきっとそこには、闘争心も混じっているに違いない。
だからこそ、そんな丈くんがいるからこそ、なにわ男子のデビューに真正面から向き合えないのではないか。


末澤くんは、自分の好きな人以外は他人に興味がない、とよく言っているけれど、自分の手が届く範囲にいる相手のことはわりと気にかけるタイプだと思う。学生時代生徒会長を務めたような人間が、他者に対してそんなに無関心なはずがない。
クールぶってはいても、実は面倒見がいいし情に厚い一面もあることは知られている。

関心がなくて配信を見なかった、というポーズを取っているのかもしれないが、返ってなにわ男子に対する大きな感情が露見しているように感じてしまう。



そして極めつけは10月18日に更新されたYouTubeのこの動画である。


なにわ男子【卒業します】関西Jr.へ真剣メッセージ&重大発表も - YouTube



収録済みのコメントでも中継でもローテンションだった末澤くん。他のメンバーがいわゆる「エモーショナル」な情感を引き立たせるコメントをする中、一人だけ笑いに持っていくエピソードトークをしていた(しかもまた丈くんとの) (丈くんのこと以外話すことないんか)

中継では、末澤くんのそんなテンションを不安に思ったのか丈くんがいじってくれてようやくいつも通りくらいまで戻ったけれど、あまりにもいろんな感情が露骨だった。

普段から機嫌はわかりやすい人だが、今まで文面でしか窺い知れなかったなにわ男子のデビューに対する態度をここまでありありと見せられてしまうと、これが現時点での答えなのだ、と思わざるを得ない。


それに、配信を見なかったのは家にいなかったからかもしれないという薄っすらとした希望すら、この動画で打ち砕かれてしまった。

家にいながら、敢えて見なかったのだ。いや、もしかしたら心境的に見れなかったのかもしれない。


ここまで引きずるのであれば、いっそのこと「なにわのデビューは悔しい気持ちもあるけど俺たちもがんばるから!」くらいに言ってくれた方がこちらとしては楽だ。

でもきっと末澤くんは認めたくないのだと思う。自分が抱いている悔しさや、さみしさや、不安を。
そして名付けようもない、漠然とした大きな感情を。


ちなみにこれはわたしの体感だが、この動画が上がったあと、もともと不安定だった末澤担たちの鬱度が急加速した気がする。
わたしもどん底に落ちたし、動画もまだ最初の一度しか再生できていない。しんどすぎて見るに堪えないのだ。



さすがにここから1ヶ月が経つので、今夜のベストヒット歌謡祭のときにはなにわ男子の門出を笑って送り出せる末澤くんでいてほしいと願う。

末澤くんはどんな思いで彼らの背中を見送るのだろう。
その答えをいつか、笑って教えてほしい。




何年後か先、なにわ男子とAぇ! groupがお互いにデビュー組として同じ舞台に立てる未来を夢見ているし、必ずその日を迎えたい、迎えられると信じている。



Aぇ! group6人で、絶対にデビューしようね。

*1:令和Jr.維新!西の陣。末澤くんは最終回を担当

*2:STAGEnavi Vol.52より

8月の全てを丈末に捧げた2021年 #丈末しか勝たん


早いもので今年も8月が終わってしまいました。


皆さまは8月と聞いてなにを思い浮かべるでしょうか。

関西担、特になにわ担にとって8月はラブラブチュキチュキボンバーズさんこと丈橋コンビが丈橋強化月間を迎えるのが風物詩となっておりますが、

今年は丈末も熱かった!!!!!!!!


今夏、気づけば数日おきになにかしら丈末が丈末しており、いったいあれは何だったのだろうと走馬灯のように思い返す日々です。

自分自身のために、そしてもしかしたら後世のために(?)、ここに2021年8月の丈末のすべてを書きとめておくことといたします。


ああ丈末よ、永遠なれ。


.


8月8日(日)


なにわ男子 First Arena Tour 2021 #なにわ男子しか勝たん
ゲームコーナー なにわ男子の全国選手権 #俺しか勝たん 【関ジュあるある】


長尾回答『丈くんすえざわくんおったらいきいきする』


藤原「ぜんっぜん」

長尾「これ(拍手の大きさ)でかいんちゃうん!」

藤原「ちがうちがうちがう」

西畑「だってまいジャニ*1とかすごいもんね!?」

長尾「一番嬉しそうやもん!」

藤原「違う違う、あいつが来るからしゃあなしで相手してあげてんねん、俺は

長尾「なに言ってるねん」

西畑「自分から行ってること多いよ!」



すべてはここから始まったと言っても過言ではない、まさかの丈末ぶっこまれ回。このときの拍手の大きさで丈くんは丈末の需要を確信したのではないかと思います。

まあ丈橋やさのすえと違って、丈末は二人がどこまでわかっててやってるのか謎ですが……。


さて、長尾くんと言えば丈橋親衛隊の一人として有名ですが、過去に雑誌で末澤くん宛にもこのようなメッセージを書いてました。

うちの最年長がお世話になってます。末澤くんとしゃべってるときの丈くんが一番イキイキしてると思うんですよ。だから、これからもよろしくお願いします! 末澤くんといるときにしか見られない丈くんがいると思う。

(ザ テレビジョン 2020年11/27号より)


これに対する末澤くんのお返事がこちら。

ファンの人にもよく言われるわ。丈はほんまはボケたい人やのに、なにわ男子でツッコミや進行をやることが増えてボケたい欲がたまりにたまってるんやろうな。

(ザ テレビジョン 2020年11/27号より)


どのグループでも言えることですが、最年少の子はグループ全体のことを本当によく見ている印象があります。
特にメンバーの機微に聡い子が多いように感じていて、長尾くんもそんな気がします。あとはオタクの需要もよく把握してる。

ちなみにこの回、丈くん判定で長尾くんが優勝しています。



各メンバーベストアンサー発表


高橋『身長が小っさい』

藤原「その拍手、松竹の末澤に届け(笑)」

大橋「せやな、今やってんもんな」


長尾『丈くんすえざわくんおったらいきいきする』

藤原「これはほんまに僅差でしたけど、僕が聞く限りでは、優勝は……謙杜でーす!」

長尾「やったー!!!」

西畑「これはほんまにあるあるやもんね」

長尾「先ほどもね、末澤くんに何か飛ばしてましたから(笑)」

西畑「ほんまや(笑)」


丈くんほんと、そういうとこだよ!


8月9日(月)


関西ジャニーズJr. Summer Special 2021
昼公演 見学 藤原丈一郎





なお、末澤くんがファンサでホームラン打つフリしたのを多数のオタクが目撃する事案が発生。
そのファンサ丈くんがよくやるやつじゃん………




末澤くんから確定ファンサもらう丈くん。全末澤担完敗。
藤原丈一郎しか勝たん。




島動画更新

https://t.co/1zueOiCG5s?amp=1


「丈くんすえざわくんおったらイキイキする」の真骨頂すぎてもはや言葉を失う。


そしてこの日は島動画がもう一本。
丈くんサマスペ出てたっけ?


https://t.co/wteD7WX5Fs?amp=1


関ジュ最長歴の先輩として、最後まで関西Jr.の一員として関西を盛り上げる姿勢を崩さない丈くんかっこいい。

あと全然関係ないですが、わたしが天下一好きな島動画も貼りつけておきます。
全人類がすきなやつ。


末澤誠也、草間リチャード敬太「リチャ末の本番1時間前」 | ISLAND TV

(更新当時に島動画告知用の公式アカウントが開設されておらずTwitterのリンクが貼れないため、ツイートお借りしました)


8月10日(月)


関西ジャニーズJr. Summer Special 2021
見学 藤原丈一郎


まさかの2日連続で見学。
この日はMCにて島動画についても言及がありました。


関西ジャニーズJr. Summer Special 2021 MC


小柴陸くんがお寿司差し入れしてくれたから、小島くんも差し入れしようの流れ。

福本「でもあれやん、こじも差し入れするって」

小柴「昨日island TVで言ってたから」

小島「藤原さんでしょ? 言い出したのは。藤原さんやって! なにわの」

末澤「だから、藤原さんにもしてもらったらいいんじゃない?」

佐野「じゃあ藤原さんがしてくれたら、小島さんもするということで」

小島「もちろんもちろん。それはそう」

佐野「確かになあ、丈くんが勝手に言ったことで小島くんだけがするっていうのもおかしい話や」

末澤「丈は絶対守るから。大丈夫

正門「すごい厚い信頼がありますね」



末澤くんってときどき「俺は丈のこと分かってるから」オーラ出してくるのなんなんですか?(なんなんですか?)


8月11日(水)


日刊なにわ男子更新
担当 藤原丈一郎

#サマスペ楽しかった
(中略)
#末澤のドライヤー俺と色違い
#わからんくなるから
#ドライヤーにすえざわって名前書いてあげた
#優しいおれ


4日連続の丈末はさすがに気が狂う。
この一連のタグ、5回は声に出して読み上げました。どういうこと??????
きっと2019年の春松竹期間中のようにリチャ末の楽屋に居座ってたんでしょうね。3人本当に仲良しでしんどいです。


8月12日(木)


QLAP! 2021年9月号

藤原「(デビューのお祝いは)同期の神ちゃんや、中村海人、リチャ、末澤からも連絡が来て、末澤のお母さんに「良かったわ」って言ってもらえたのもうれしかった」


どういう経緯でお母様からお祝いの連絡が来たのか。丈末はいつも余白が多い。


8月13日(金)、8月27日(金)


ザ・少年倶楽部 in 大阪
※収録は7月22日



8月といえばin大阪を忘れてはいけません。
関西担の夏の風物詩、in大阪。今年も関西Jr.にQのコーナーMCを丈末が務めてくれました。
Boys beが披露する特技を丈くんが回収して話を広げ、末澤くんにボケをパスして末澤くんがノってツッコむ。ナイスコンビネーションでした。さすがは関西Jr.のメッシとスアレス*2

他にもなにわがスタンバイするためMCの繋ぎで末澤くんが話し出すと「急に喋り出すやん」とお約束のように突っかかる丈くんも健在でした。はいはい丈末。


そういえば、in大阪オンエア前のかんじゅ日誌にて西村拓哉くんがこんなことを書いてくれてました。


この前、少クラの収録がありました〜〜〜🎧🎶💕


(中略)


リハーサルも3グループでしたんですけどすごい賑やかで😊


親戚の集まりみたいでした〜笑笑


誠也くん♥️おるから丈くん💙めっちゃ元気!(うるさい🤣)


正門くん💙をイジったりちょっかい出してくれたり嬉しかったな笑笑



(かんじゅ日誌 2021/8/10 23:00)


ところで去年のin大阪は丈くんから末澤くんに「少クラ一緒に観よう」とお誘いがあったようですがあれは結局どうなったんですか??(一年越しの疑問)


8月14日(土)


産経新聞夕刊 ごっつええやん vol.110

末澤「(なにわ男子のデビュー発表について)僕はネットニュースで知って、丈には「おめでとう」と連絡したくらい(笑)」

末澤「僕は今年で27歳になるから関西Jr.では最年長で、なにわが抜けることによって、リチャと俺がJr.歴もトップになるねんな。それこそ丈がやってたポジションを次は自分がやらなあかんのかなぁ。でもその時代のカラーややり方があっていいと思うから、あまり背負いすぎずにいこうかなと」


なにわのデビューに関することはこちらで詳しく触れています。

mellowmelon.hatenadiary.com



8月20日(金)


関西ジャニーズJr. Summer Special 2021 夜公演 MC

本当に焼肉弁当を差し入れした小島くん。代わりに小島くんが載るFINE BOYSを全ジュニアに一人3冊以上買うことを要求。


末澤「ちなみにね、さっき小島がお弁当持ってるとこ丈に送ってん。じゃあ、『このお弁当買えるお金あるんやったら自分でFINE BOYS買ったら?』って返信きた」

小島「気持ちやん! お金とかちゃうやん!」


約3000円前後の焼肉弁当を全キャスト分差し入れする小島健ちゃん、太っ腹。
にしても丈末、こちらが思ってるよりずっと頻繁に連絡してるようなんですが。


8月23日(月)


関西ジャニーズJr. Summer Special 2021 昼公演 MC


末澤「昨日終わってから丈から連絡あって、『何にもないねん、24時間おつかれ』って。丈も名古屋でライブしてたから。おつかれーみたいな感じやねんけど。

で『お母さんおる?』『ああ、おるで』『 ちょ、代わってくれへん?』って。『(お母さんと代わって)あ、お母さん! 家の電話鳴ってません?』みたいな。俺も はあ? って思って。いや鳴ってへんやん、て。ほなら家の電話鳴ったんや。

……丈からやった

福本「え? でも携帯一個しかないのにどうやってかけたんですか」

末澤「多分やけど、リトルの風雅の携帯で俺のにかけてきて、で丈の自分の携帯で俺の家に電話かけてんねん。なんで家電知ってんの!?」

福本「教えた覚えないんすか」

末澤「いやないねん」


たしかに今年のあけおめでも「すえざわん家の番号知ってる」とは言ってましたが本当に知ってた。まさかすぎ。
そしてまあまあ手の込んだいたずらをする丈くん、末澤くんにかまってほしすぎで愛おしい。

ちなみにリチャくんは家電のみならず末澤くんのお母様の番号も知っていて、お母様の名前で登録してあるそうです。
リチャくんも丈くんもお母様公認で安心ですね(?)


余談ですが、このあと正門名(迷)言集に刻まれることになるアレが飛び出しました。


末澤「結局そのくだりが15分くらい」

佐野「なっが(笑)」

末澤「ほいで丈も切るときに『俺が24時間終わりにこんな電話かかってきたら絶対嫌やわ』って言いながら切った」

正門「すごいな、丈くん。自分がやられて嫌なことやんねや。道徳習ってこうへんかったんかな

小島「それも人に向けていい言葉ちゃうで(笑)」


おそらくレポかなにかを見た丈くんは8/25の日刊で
#正門くんへ
#僕は道徳の授業
#受けてましたよ笑
と返信していました。


8月24日(火)


月刊TVガイド 2021年10月号①

藤原「(8/9更新の島動画について)あの日に『サマスペ』を見に行く予定じゃなかったんですよ。翌日に行く予定で。そしたら本番1時間半前ぐらいに末澤から電話かかってきて、「来てや」って」

大橋「理由は何やったん?」

藤原「分からへん。でも大橋の誕生日やから何かするのかなと思って行ったら、(大橋は)来てへんし、特に何もなくて、ただただ呼び出されただけ(笑)」


まさかの末澤くん呼び出しだった。
もはや丈くん、末澤くんの本カノかなにか???
ここでも全末澤担完全敗北。藤原丈一郎しか勝たん。(2回目)


この件と引き合いにオタクの中では「(リューン再演の)刈谷公演来てや」と言われて本当に刈谷まで行った末澤誠也くんの話が語られていますね。

証言島動画がこちら。


藤原丈一郎、大橋和也、正門良規、末澤誠也「リューン見学」 | ISLAND TV


丈末、あまりにもお互いの現場にフッ軽なのよ。




月刊TVガイド 2021年10月号②

藤原「(デビューのお祝いは)ジャニーズだと、末澤と、末澤のお母さんからも来て。自分の息子のように喜んでくれたのもすごく嬉しかった」

Aぇ!!!!!! 更新
担当 末澤誠也

本日、私、
誕生日を迎えさせて頂きました!!😊(パチパチ👏)

27歳になりました!✨❤️
ちなみに今年1番に連絡くれたのは丈でした笑
熱い言葉を綴ってくれてました!


期待を裏切らない男・藤原丈一郎〜〜〜〜〜〜!!!!!!



関西ジャニーズJr. Summer Special 2021 MC


末澤くんのお誕生日プレゼントについて

草間「ドライヤーとかあげようかな」

小島「あーいいねえ」

草間「こないだ楽屋来たとき落書きされてたから。丈に」

正門「アッハッハァwww」

小島「絶対いややわ! そんなんあんねや!?」

草間「これちゃんと名前書いとかな誰のもんかわからんくなるからー! って『すえざわせいや』てひらがなで書いてあった」

小島「へえーすごいよなあ、丈くんは」

正門「すごいなあ」

末澤「ほんまに。めっちゃでっかく『すえざわせいや』って書いてあった

草間「他のもんとかにもなあ? スプレーとかも全部名前書いて」

末澤「全部やで。メイク道具とか全部! 俺が机に置いてたもん全部にすえざわって書いてあった



全部だった。
ドライヤーだけじゃなかった。メイク道具も全部だった。末澤くんの私物のほとんどに丈くんのまるっこいかわいい字で『すえざわせいや』って書いてある事実。本当にあったこわい話。





以上、2021年8月の丈末でした。
こうして見ると前半が怒涛でえげつない。こわい。よく耐えたな………(耐えられたかどうかは不明)

自担と歩む月日は毎分毎秒が常に宝物ですが、今年の夏は特に忘れてはいけないような気がして、自分の記憶とともにデータとして残しました。
これから先、GoLもノーリミも今のメンバーで歌うことはないんだなと思うと膝から崩れ落ちそうになりますが、いつかカウコンで丈くんと末澤くんが青春アミーゴを歌ってくれるのを夢見て、あかるい未来に真っ直ぐ目を向けていたいと思います。


なにわ男子とAぇ! groupに栄光あれ!



おまけ


9月5日(日)

なにわ男子 First Arena Tour 2021 #なにわ男子しか勝たん
夜公演 見学 末澤誠也



「末澤専用」………???丈くんが書いたのかな……?
MCでも末澤くんのことを嬉々としていじってたらしい。


結論、 #丈末しか勝たんです。

*1:例:まいジャニ400回記念の大喜利

*2:TVfan CROSS vol.34より